2008年10月07日

風景のあいだで。(ルルル考。その6)

風景のあいだで。(ルルル考。その6)
静岡県立美術館で始まる現代アート展「風景ルルル」で、それこそルルルと鼻歌まじりに鑑賞するのが一番似合いそうな作家が内海聖史だろう。
彼の作品は東京都現代美術館の「屋上庭園」で見ただけなので、ここで分かった風な口を聞くことはいささか躊躇われるのですが、彼の「三千世界」ともうひとつの巨大なタブローはそれほどルルルのイメージとだぶってきます。

そう、僕にとってはあれは偶然現れた森だった。

あれほど気持ちのよい森を歩いたことがあるだろうか。
あれほど気持ちのよい木漏れ日を浴びたことがあるだろうか。

平日の美術館はとても空いていて、のんびり散歩を楽しむことが出来ました。

ただし、監視員の鋭い視線は絶えず感じていましたが。(笑)

ちょっと話しはそれますが、その時に都現美の常設展で岡本太郎の「明日の神話」も観ることができましたが(保存場所が渋谷になったらしいですね。一悶着あったようでが)、あの対面に内海氏の絵があったら面白いだろうなあなんて妄想します。
みんな明日の神話の前で口をあんぐりしてぼーっと佇んでいるのですが(もちろん僕も)、内海氏の絵を見ても同じような態度でぼーっとしています。観た時の反応が極めて似ているように感じるのです。
ただしこの二つの絵は書き方においても、考え方においてもまったく正反対。内海氏の作品には岡本太郎のような怒りを感じないし、表層的にもかなり曖昧です。でも観る者は同じような態度になってしまう。それはひとつは圧倒的なスケール感が似ているってことでしょう。どちらもまさに風景として現前している。その前では観る者は何も出来ずにただ口を開けるだけ。
圧倒的に広がる風景の後ろと前がこれほど違っていたら軽いショック受けるだろうなって思うと、ちょっと体験してみたい気もする。
以前:以後みたいな印象を受けるかもしれない。かな。

彼の絵画だけでなく、最近気になる絵画を見ていると決まって思うことがある。
もう具象とか抽象とかってどうでもいいかもしれない。ということ。

絵画が死んだと言われて久しいけど、気が付けば絵画は甦っているし、やっぱりアートの王様としてしかるべきボジションに収まっています。
たぶんアートファンの人たちは、「絵画は面白い!」が今の気分なのではないでしょうか。
(この裏返しとして「写真が面白い!」とも言える)

ではなぜか。それは死んだのは絵画ではなくて実は具象と抽象だったのではないのか。
おびただしいイメージに囲まれている現代では具象と抽象など何事でもない。私たちが見ている像とはもうどちらとも判断出来ない圧倒的なサムシングなのです。いまさらそれを問う意味を見いだすことができない。

目を閉じると見えてくる風景からずっとずっと遠く見ることも想像することもない風景。
そんな風景を獲得している作品こそがリアルなものとなって僕の前に現れる。

そう、ちょうど内海聖史の森のように。


有度の森の中に現れるもうひとつの森。





内海聖史氏のブログ >> 色彩の下

「風景ルルル」考 >> その1 その2 その3 その4 その5


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Posted by 柚木康裕 at 21:15│Comments(0)アート・美術
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