2008年09月23日
風景と写真(ルルル考、その3)
風景ルルルで特に注目に値するのは作品として「写真」が展示されるということ。
これは静岡県立美術館(以下県美)の展覧会では極めて珍しいことではないでしょうか。僕の経験では思い出せるものはありません。唯一写真を使った作品として森村泰昌氏のセザンヌのリンゴの写真を憶えていますが、作品の見せ方としての写真であり、今回のようなストレートフォトではありません。
言い換えれば写真を展示しないのが県美の立ち位置ということができます。もともとの生い立ちからして写真という美術が組み込まれていなかったのだと思います。(もっともそのほかの多くの県立美術館も似たような状況かもしれません。)所蔵している作品を活用しなければならないことも考えると写真との関わり/文脈が取りにくいものは企画として成立しにくいといったことも考えられます。
その県美の壁に写真が展示されることはまさに驚きであり、それを確かめに行くだけでも価値があります。(ちょっと大げさ?笑)
いまや写真を撮ることは何も特別ではなく、まさに生活の一部のようにあらゆる場面でシャッターが押されます。
デジタルカメラの進歩が決定的にこの状況に拍車を掛けているわけですが、ではそんな1億総カメラマン状態の中でアーティストとして写真を撮るということ、そして作品としての写真に仕上げるとはいったいどんなことなのでしょうか。シャッターを押せば写真になってしまうにもかかわらず、いったい私たちと何が違うのか。
これはテクニックの話しではありません。テクニックに関して言えば練習すれば上手な写真はいくらでも撮れるようになるでしょう。でもそれは上手な写真であり「作品」ではありません。(デザインとアートの関係に似ているかもしれません)
アーティストは作品としての「写真」を創り出します。芸術としての/とみなす写真、見慣れている写真ではない写真を発見する楽しみ。これが今度のルルルでも味わえるというわけです。
味わい方としてはコンセプトや心情的なものを探る楽しみもありますがまずは単純に物として存在しているプリントを楽しむというのもいいかもしれません。具体的に言えば、まずはそのプリント自体のきれいさに注目してみたり、35mmフィルムまたは一般的なデジカメの画素数が到底及ばないおおきなフィルムからのプリントによる臨場感に浸ってみるというのもいいかもしれません。画面に写った見慣れた世界が奇妙に見えてくるほどのリアルさを体験できたらより楽しそうです。
実を言えばこれは僕の写真を見る時の見方でもあるわけですが、ルルル出展作家の1人である鈴木理策氏の写真はこのような見方が十分に楽しめる作家さんだと思います。そのうえとてつもなく美しい作品を創ります。美しいとは共通のイメージを持ちにくい難しい言葉になってしまいましたが、とにかく素直に声に出てしまうほど僕にとっては美しく感じます。
すでに写真とはデジカメのことを言うかもしれませんが、アーティストとしての写真家はほぼフィルムで写真(銀塩写真)を撮っています。デジカメにはない表現力の獲得はもちろんですが、フィルムに像を定着させ質量のある存在にさせることも理由にあるのだと思います。複製が前提としてある写真を芸術に高めているおおきな要素がフィルムという物質としての存在です。芸術はオリジナルという観念を前提としてなりたっているので複製の出来る写真は立場的に危ういものがあるでしょう。しかし複製/交換が出来ないフィルムから出来上がるプリントは十分に芸術としての価値があると見なされます。もっともそれが曖昧なコンセンサスだと不思議に思ったとしても、出来上がったプリントの美しさをみれば納得もできます。
写真家と言われている人たちはフィルムで撮ることを大事にするし、プリントをなにより大切に扱います。その態度こそがプリントが複製技術の成果ではなく、完全なオリジナルとして存在させる理由なのかもしれません。
またフィルムにこだわる理由としてこんなことを言っていた写真家がいました。
それはフィルムで写真を撮る時はファインダーを覗けるのは1人であるということです。デジカメは液晶で撮った像をすぐに確認出来ます。それも多数が見ることができる。
確かにデジカメの特徴ではあるのですが、撮ったと同時に編集の作業が介入してくるというのは作品創りにとってはとても厄介なこと。作品に対して自分の内に批評的な目を持つのは必要だと思いますが、それは編集とは違います。作品を創るとはあくまでも自己で完結しなければなりたちません。編集/他者が関わりを持つのはそのあとです。
これって至極当然のことのようですが、これは現在の写真やアートの現状を考えるのにとても面白い話しだと思います。
今回は鈴木理策氏のことを書く予定でしたがちょっと内容が違ってますね・・。(笑)
次回の「風景ルルル」考は彼の写真集「 MONT SAINTE VICTOIRE 」を見て彼と写真について考えたことを書こうかなと思います。
back number 「風景ルルル」考 >> その1 その2
これは静岡県立美術館(以下県美)の展覧会では極めて珍しいことではないでしょうか。僕の経験では思い出せるものはありません。唯一写真を使った作品として森村泰昌氏のセザンヌのリンゴの写真を憶えていますが、作品の見せ方としての写真であり、今回のようなストレートフォトではありません。
言い換えれば写真を展示しないのが県美の立ち位置ということができます。もともとの生い立ちからして写真という美術が組み込まれていなかったのだと思います。(もっともそのほかの多くの県立美術館も似たような状況かもしれません。)所蔵している作品を活用しなければならないことも考えると写真との関わり/文脈が取りにくいものは企画として成立しにくいといったことも考えられます。
その県美の壁に写真が展示されることはまさに驚きであり、それを確かめに行くだけでも価値があります。(ちょっと大げさ?笑)
いまや写真を撮ることは何も特別ではなく、まさに生活の一部のようにあらゆる場面でシャッターが押されます。
デジタルカメラの進歩が決定的にこの状況に拍車を掛けているわけですが、ではそんな1億総カメラマン状態の中でアーティストとして写真を撮るということ、そして作品としての写真に仕上げるとはいったいどんなことなのでしょうか。シャッターを押せば写真になってしまうにもかかわらず、いったい私たちと何が違うのか。
これはテクニックの話しではありません。テクニックに関して言えば練習すれば上手な写真はいくらでも撮れるようになるでしょう。でもそれは上手な写真であり「作品」ではありません。(デザインとアートの関係に似ているかもしれません)
アーティストは作品としての「写真」を創り出します。芸術としての/とみなす写真、見慣れている写真ではない写真を発見する楽しみ。これが今度のルルルでも味わえるというわけです。
味わい方としてはコンセプトや心情的なものを探る楽しみもありますがまずは単純に物として存在しているプリントを楽しむというのもいいかもしれません。具体的に言えば、まずはそのプリント自体のきれいさに注目してみたり、35mmフィルムまたは一般的なデジカメの画素数が到底及ばないおおきなフィルムからのプリントによる臨場感に浸ってみるというのもいいかもしれません。画面に写った見慣れた世界が奇妙に見えてくるほどのリアルさを体験できたらより楽しそうです。
実を言えばこれは僕の写真を見る時の見方でもあるわけですが、ルルル出展作家の1人である鈴木理策氏の写真はこのような見方が十分に楽しめる作家さんだと思います。そのうえとてつもなく美しい作品を創ります。美しいとは共通のイメージを持ちにくい難しい言葉になってしまいましたが、とにかく素直に声に出てしまうほど僕にとっては美しく感じます。
すでに写真とはデジカメのことを言うかもしれませんが、アーティストとしての写真家はほぼフィルムで写真(銀塩写真)を撮っています。デジカメにはない表現力の獲得はもちろんですが、フィルムに像を定着させ質量のある存在にさせることも理由にあるのだと思います。複製が前提としてある写真を芸術に高めているおおきな要素がフィルムという物質としての存在です。芸術はオリジナルという観念を前提としてなりたっているので複製の出来る写真は立場的に危ういものがあるでしょう。しかし複製/交換が出来ないフィルムから出来上がるプリントは十分に芸術としての価値があると見なされます。もっともそれが曖昧なコンセンサスだと不思議に思ったとしても、出来上がったプリントの美しさをみれば納得もできます。
写真家と言われている人たちはフィルムで撮ることを大事にするし、プリントをなにより大切に扱います。その態度こそがプリントが複製技術の成果ではなく、完全なオリジナルとして存在させる理由なのかもしれません。
またフィルムにこだわる理由としてこんなことを言っていた写真家がいました。
それはフィルムで写真を撮る時はファインダーを覗けるのは1人であるということです。デジカメは液晶で撮った像をすぐに確認出来ます。それも多数が見ることができる。
確かにデジカメの特徴ではあるのですが、撮ったと同時に編集の作業が介入してくるというのは作品創りにとってはとても厄介なこと。作品に対して自分の内に批評的な目を持つのは必要だと思いますが、それは編集とは違います。作品を創るとはあくまでも自己で完結しなければなりたちません。編集/他者が関わりを持つのはそのあとです。
これって至極当然のことのようですが、これは現在の写真やアートの現状を考えるのにとても面白い話しだと思います。
今回は鈴木理策氏のことを書く予定でしたがちょっと内容が違ってますね・・。(笑)
次回の「風景ルルル」考は彼の写真集「 MONT SAINTE VICTOIRE 」を見て彼と写真について考えたことを書こうかなと思います。
back number 「風景ルルル」考 >> その1 その2
波多野里香展
画集「持塚三樹 Sun Day」
風景美術館でかんがえたこと
持塚三樹展 Sun Day @ヴァンジ彫刻庭園美術館
佐藤浩司郎「DISTORTION」@Gallery PSYS
清水現代アート研究会Vol.5
画集「持塚三樹 Sun Day」
風景美術館でかんがえたこと
持塚三樹展 Sun Day @ヴァンジ彫刻庭園美術館
佐藤浩司郎「DISTORTION」@Gallery PSYS
清水現代アート研究会Vol.5
Posted by 柚木康裕 at 17:20│Comments(0)
│アート・美術