2009年03月25日
転校生

明日から「転校生」の東京公演が始まります。
時間が許すならもう一度観たい。
この舞台を一度に理解することが出来るのだろうか。
平凡な日常のある一日を描いているのだが、それは何も起きていないということではない。
確かに目を凝らさなければ見えてこないが、それは絶えまず運動を繰り返す原子の振動のようにそれぞれが共鳴しあって激しく動いている。
その振動が僕に伝わり、ざわざわと心を刺激するのだ。
まだまだ掴みきれないことが多い。
先日の日記で制服のことを話題にした。
3月13日「コスプレと制服」
SPACプロデュースの演劇「転校生」に出演するほぼすべての役者はコスチュームを与えられません。
その役者とは県内の現役女子高生たち。彼女たちは普段来ている母校の制服で舞台に登場します。
この場合の制服は非日常(あるいは演劇の日常)/コスチュームなのか、または日常(演劇の非日常)/ユニフォームなのか。
3月9日の静岡新聞夕刊に「転校生」の記事がありました。その中で宮城聰SPAC芸術総監督はこんなことを言っています。
彼女たちが「もう一度舞台で演じよう」と思ってしまうと、とたんにプロのルールに従った”演技”になってしまう
つまりこれは制服がコスチュームになってはいけないということです。演劇の日常ではなくあくまでも彼女たちの日常が舞台にあがることが大切ということでしょう。
観劇後に知ったことだが、演出した飴屋法水氏は出演する彼女たちにインプットはどんどんしてよいがアウトプットはするなと指導したそうだ。
それを聞いて答えたことがこの先日の日記の内容とかぶっている。
mixiのスノドカフェコミュに書き込んだのだが、ここにも記載してみます。
アウトプットをするなとは単純に言えば演技をするなということになるが、ではどんな演技をするなって飴屋さんは言っているのだろうか?
女子高生が女子高生を演じてしまったらリアルさがなくなる?
素人らしさをだしたかったからかな?
確かにそうかもしれない。
でもすでに日常でも彼女たちは女子高生という役を演技している/させられているのではないだろうか。
それは親心という必要以上のプレッシャーからだったり、社会の好奇な視線のせいだったり。
そんな期待されているようなアウトプット/演技はするなといっていると考えたらどうだろうか。
「期待されているアウトプット」とは社会の生み出す女子高生像。
舞台も終盤にさしかかったころ一人の女の子が椅子を指しながらみんなの名前を言った。
あの舞台の上にいたのは女子高生ではなく、それぞれの名前を持った女性だったのでしょう。
飴屋さんは女子高生を演じなくてもいい、ただ「わたし」を演じてほしいということを言いたかったのでは。(毎日のなかで人生を演じるように)
それが舞台でのリアルにつながっていくのではないだろうか。
つまりアウトプットするなというのは「わたし」は「わたし」で良いと勇気づけていると言えるのでは。
「わたし」でいることが十分に魅力的なアウトプットとなる。
「わたし」を形作っているインプットにはどん欲でよい。
きっと出演者の女の子たちの生き方そのものを全面的に肯定しているのです。
飴屋演出とは愛ですね。
彼が昔営んでいたペットショップの珍獣を愛するような、ね。笑
とまあ、こんな感想を述べたのですが、先日の日記の疑問「舞台上での彼女たちの制服は?」は結果的に彼女たちのリアルな日常着としての制服だったと言えます。
彼女たちは確かに演技をしていたが、それは女子高生を演じていたのでなく、名前のあるわたしを演じていた時点で借り物の衣装ではなく、まさに本人の制服だったからです。
あの舞台の不思議なまでの生の表出。
こちらまで元気になるようなエネルギーが満ちていたように感じます。
****************************
スノドカフェ〜アートと学びの企画〜「転校生」ツアーに参加して頂いた皆様。
当日は長い時間お付き合い頂き誠にありがとうございました!
第2部で劇評は出来ませんでしたが、内容の濃い話し合いが出来て感謝しています。
またサプライズゲストも登場し多いに盛り上がりがあったことも有り難いことでした。
協力して頂いたSPACの皆様には本当に感謝しています。
今回感じたことは、皆で感想や意見を交わすことで飛躍的に自分の理解が
深まっていくということです。
「転校生」のような広い解釈を許容する舞台なら、それはなおさらです。
改めて対話のすごさを知った次第。
こんな機会を皆で作れたことに感謝。
Posted by 柚木康裕 at 12:17│Comments(10)
│演劇・ダンス
この記事へのコメント
面白そうですね。状況が許せば行ってみたいと思います^.^
Posted by suzuya at 2009年03月26日 14:17
> suzuya さん
こんにちは、お元気ですか。
コメントありがとうございます。
こんな芝居は滅多観られるものでないと思いますよ〜。
時間ありましたら、ぜひ。
こんにちは、お元気ですか。
コメントありがとうございます。
こんな芝居は滅多観られるものでないと思いますよ〜。
時間ありましたら、ぜひ。
Posted by (ユノキ) at 2009年03月26日 17:48
観てきました。面白かった。可愛かった。カッコよかったです。
Posted by suzuya at 2009年04月04日 18:08
> suzuya さん
行ってきたのですね!
>面白かった。可愛かった。カッコよかったです。
ホントにそれに尽きます!!
また感想も聞かせてくださいねー。
行ってきたのですね!
>面白かった。可愛かった。カッコよかったです。
ホントにそれに尽きます!!
また感想も聞かせてくださいねー。
Posted by (ユノキ) at 2009年04月05日 10:39
遅くなりました。
『転校生』の宿題、ようやく書き終えました。
上記URLをごらんください。
K
『転校生』の宿題、ようやく書き終えました。
上記URLをごらんください。
K
Posted by yakkiri
at 2009年04月06日 23:44

> yakkiri さん
宿題提出ありがとうございます。
お疲れさまでした!<(_ _)>
するどい内容ですね。
こちらとあちらが地続きの世界として存在している。
とても同感出来ます。
次回の企画も決まりましたら連絡しますね〜。
よろしくです。
宿題提出ありがとうございます。
お疲れさまでした!<(_ _)>
するどい内容ですね。
こちらとあちらが地続きの世界として存在している。
とても同感出来ます。
次回の企画も決まりましたら連絡しますね〜。
よろしくです。
Posted by (ユノキ) at 2009年04月07日 11:14
20日間ほど毎日折りに触れて(トイレの最中とかふとんに入ってからとか仕事のヒマになった時間帯とか)転校生のことを考えていました。考えていたんではなくボーっと想っていただけかもしれません。なんていうか消化してしまおうとしたんだけれどできなくて、ていうか無理に消化しなくても口の中で甘くて美味しいのでなかなか飲み込めなくて、感想さえも出てこなくて「面白かった。可愛かった。カッコよかったです」から先に進めなくて、でもまぁ「それに尽きます」に甘えてまぁいいかと、毎日思い出して甘酸っぱい気持ちに浸っていたんですが、おととい「おっぱいバレー」見ちゃったもんですから綾瀬はるかちゃんの甘酸っぱさに打ち消されちゃいそうなので備忘録のように使って申し訳ありませんけれどどうしても引っかかることを二つ。
飛び降りちゃった子は死んじゃったんでしょうか。あれはなんだったんでしょうか。転校生とかで検索して感想とかのブログ見たんだけれどそこんとこはわかりませんでした。演劇としての何か解釈があるんだったのでしょうか。
同じようにブログとかで、感動したという感想をいくつか見たんですけれど、僕はとーーーっても面白かったけど感動はしませんでした。甘酸っぱくて元気になるエンターテイメントだと思いました。女の子たちが女の子であることと今若いことに嫉妬はしました。「嫉妬」なんだなぁと思ったのは今朝早起きしすぎてトイレでボーとしているときに思いつきました。僕は観たり拍手したりすることでそこに参加したけれど本当は女子高生になってそこの舞台にのっていたかったんだというような「嫉妬」。感動はどこから起こったのだろうかというのがわかんない。
自分のブログに書けや、ちゅうような事ですがこちらに甘えに来ちゃいました。どうもすいません^0^
飛び降りちゃった子は死んじゃったんでしょうか。あれはなんだったんでしょうか。転校生とかで検索して感想とかのブログ見たんだけれどそこんとこはわかりませんでした。演劇としての何か解釈があるんだったのでしょうか。
同じようにブログとかで、感動したという感想をいくつか見たんですけれど、僕はとーーーっても面白かったけど感動はしませんでした。甘酸っぱくて元気になるエンターテイメントだと思いました。女の子たちが女の子であることと今若いことに嫉妬はしました。「嫉妬」なんだなぁと思ったのは今朝早起きしすぎてトイレでボーとしているときに思いつきました。僕は観たり拍手したりすることでそこに参加したけれど本当は女子高生になってそこの舞台にのっていたかったんだというような「嫉妬」。感動はどこから起こったのだろうかというのがわかんない。
自分のブログに書けや、ちゅうような事ですがこちらに甘えに来ちゃいました。どうもすいません^0^
Posted by suzuya at 2009年04月25日 19:15
> suzuya さん
こんにちは。
率直な感想ありがとうございます。
感じ方は人それぞれなので、suzuyaさんのような感じ方もありだと思います。
「嫉妬」も多いにありえますよね。僕もある部分ではそういった感情を持ちました。
飛び降りた子についてですが、現在の僕の解釈としては「死」ではなく「不在」そのものに集中すればいいのではないかと思っています。
ただそこにいたものがいない。
そしてそれ自体に気が付かず何も無かったように過ぎている時間/教室。
ただし不在は存在の始まりかもしれません。
いや、そもそも不在などなく何かに「転」じているのかもしれませんね。
私たちが気が付かないだけで。
どちらにしても「背景」として存在しているのだと思います。
それに気が付く為には、目を凝らすのか、それとも躰の感覚を開くのか。
そんなことを今もいろいろと考えています。笑
そういった意味では僕も「感動」とはちょっと違うところにいるのかもしれません。
こんにちは。
率直な感想ありがとうございます。
感じ方は人それぞれなので、suzuyaさんのような感じ方もありだと思います。
「嫉妬」も多いにありえますよね。僕もある部分ではそういった感情を持ちました。
飛び降りた子についてですが、現在の僕の解釈としては「死」ではなく「不在」そのものに集中すればいいのではないかと思っています。
ただそこにいたものがいない。
そしてそれ自体に気が付かず何も無かったように過ぎている時間/教室。
ただし不在は存在の始まりかもしれません。
いや、そもそも不在などなく何かに「転」じているのかもしれませんね。
私たちが気が付かないだけで。
どちらにしても「背景」として存在しているのだと思います。
それに気が付く為には、目を凝らすのか、それとも躰の感覚を開くのか。
そんなことを今もいろいろと考えています。笑
そういった意味では僕も「感動」とはちょっと違うところにいるのかもしれません。
Posted by (ユノキ) at 2009年04月26日 09:56
ふむふむ、さすが。形が与えられますね。「…時間/教室」というのがまたいいですね。あの教室は時間だったのかもしれませんね。高校生からあの転校生のおばちゃんへの時間。そうするとあの飛び込みは転生か。なんっつって。妄想は芝居を離れて琥珀に溶ける、と^0^
もうちょっと妄想に遊びます(笑)
あと、11日の古典戯曲を読む会@SHIZUOKAに遊びに行かせてもらいます(予定)
もうちょっと妄想に遊びます(笑)
あと、11日の古典戯曲を読む会@SHIZUOKAに遊びに行かせてもらいます(予定)
Posted by suzuya at 2009年04月27日 14:47
妄想大いに結構です!
想像も創造も妄想とそうたいして違いがありませんから。笑
古典戯曲読む会、是非お越し下さい。
お待ちしています〜。
想像も創造も妄想とそうたいして違いがありませんから。笑
古典戯曲読む会、是非お越し下さい。
お待ちしています〜。
Posted by (ユノキ) at 2009年04月28日 12:09
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