2010年03月02日
第4回 shiseido art egg 岡本純一展「市中の山虚」

先週末は清澄の小山登美男ギャラリーで行われたアートパーティなるものに出掛けてみた。
帰りの時間が決まっていたので長居出来なかったのだが、短いなりにも楽しい時を過ごせた。来場者は100人はゆうに超えていたように思う。日頃は静かなギャラリーも音楽と話声で溢れていた。そんな中で久しぶりの知人とバッタリ会ったり、始めての人と意気投合したりとそれなりにパーティらしいハプニングも楽しめた。
後ろ髪を引かれながら会場をあとにして帰路へ。
このパーティに向かう前に少し時間があったので資生堂ギャラリーへ寄り道。
現在は第4回「shiseido art egg」が開催中で3人中2人目の作家の作品が展示されているところだった。「shiseido art egg」とは公募展形式でまず応募者の中から3人が選ばれ約1ヶ月づつギャラリーで作品展示、そして3人の中から1人の優秀賞が選ばれるといったシステムになっている。もちろん3名に選ばれるだけでもとても名誉なことだろう。
この企画がお気に入りなのは、何といっても選ばれた作家が気合いを入れてギャラリー空間と向かい合っていることにある。またその作家を選ぶギャラリー関係者の能力も魅力的。
去年は3回ともとても楽しませてもらった。特に宮永愛子さんの展示は強烈なインパクトがあった。
今回観た展示もその意味では負けず劣らずでインパクトは十分。
岡本純一展「市中の山虚」
ギャラリーの「中」に大きな壁を作り「外」と「中」を作り出す。
壁には障子戸があり、それを引いて壁を行ったり来たりできる。
展示物はただそれだけ。
基本的に他には何も無い。
いや、もうひとつあった。
光。あるいは灯り。
中、外、中という入れ子状態を作り出しているのは実は光のようだ。
明と暗を作り出すことにより中と外と意識させる。
明と暗、中と外は障子戸によってゆるやかに繋がっている。
日本的な美が見て取れるのだが、それは主題ではないだろう。
鑑賞者がその障子戸を開け閉めして通っていくたびに、床に光が差しそしてまたぼんやりとした光に戻る。
明と暗。
僕はここで一体何を観ているのだろうか。
壁だろうか、障子戸だろうか、漏れてくる光だろうか、透過する灯りだろうか。
そんなことを考えていたらマーティングリードを何となく思い出した。
「作品番号227、ライトが点いたり消えたり」
そう、何も展示されていない部屋で照明が点いたり消えたりするだけだったあの作品。なんとなく居場所がなくて落ち着かないあの作品。
観るべきものがないからその空間そのものに意識を向ける。それは分かる。でも腑に落ちない。けっして居心地は良くはならない。
ひるがえって資生堂ギャラリー「市中の山虚」。
観るべきものがないような状態はほぼ変わらない。(壁しかないわけだから)
光の強弱によって場を変容させるってこともそれほど変わらない。
それでもここは居心地が悪くない。
ひとつ違うとしたら「光」が「灯り」になっていることだろうか。
日本人は「灯り」を持つことによって空間をつねに意識させる(作りだす)ことをしていたのではないだろうか。
それは西洋で言うところの光といった性質とは少しばかり違うのだと思う。
灯りはけっして暴くために点いているのでない。光のように。
人まかせ。どう見ようとあなたの勝手。
灯りとは、それを許す包容力と遊び心の表れかもしれない。
それにしても大胆な空間構成。
何も無い潔さと同時に場を満たしている何かを感じさせてくれる。
<写真は本文とは関係ありません>
波多野里香展
画集「持塚三樹 Sun Day」
風景美術館でかんがえたこと
持塚三樹展 Sun Day @ヴァンジ彫刻庭園美術館
佐藤浩司郎「DISTORTION」@Gallery PSYS
清水現代アート研究会Vol.5
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Posted by 柚木康裕 at 11:41│Comments(0)
│アート・美術