2010年03月17日

杉浦慶太「惑星」 from だれもいないまちで

杉浦慶太「惑星」 from だれもいないまちでマットな黒。インクジェット独特な風情を見せるその闇は印刷のせいなのか、彼の撮影した景色のせいなのか。
この乾ききるまえの湿りとも言えそうな質感によって杉浦慶太氏の作品は一見写真と思わせない表情を見せる。初めて彼の写真「Dark Forest」を見たときは、思わず写真かどうかを尋ねてしまったほどだ。
しかしインクジェットを使うのは絵画的効果を期待しているからではない。彼の理想とする空間を表すために必要なのだ。アンダーに撮られる写真。見える物も見えなくさせてしまうことは逆に言えば何かを浮かび上がらせることでもある。目には見えないなにものかを。

先日山本現代で開催しているグループ展「だれもいないまちで」で彼の新作を見た。
暗闇の中にあって煌々と照らされる人工物。それは日本人ならごくなじみの風景だ。高速道路の看板。自販機の明かり。静まりかえった駐車場で長距離トラックを照らす電灯。真夜中に撮られたと思われるそれらの風景はある種の畏敬の念を感じさせる。真夜中とはまさにアナザーワールドだった子供の頃の恐れが蘇ってきそうな雰囲気をたたえる。見えないものが見える寸前(それは永遠に見えないのだが)のあの何とも言えない感情。

あれはなんだったんだろうか。
今やそのような感情におそわれることもない。それは僕が大人になったのか。それとも日常から真夜中がなくなったのか。

ひとけのない刻に広がる闇が孕むもの。
彼はこの空/くうを定着させるべき写真に向かう。そしてインクジェットという装置を使って表象する。

現在彼のもう一つの展覧会が開催されている。
日本橋馬喰町にあるコンテンポラリーギャラリーCASHIの杉浦慶太個展「lnkjet」である。
この写真は暗闇とは正反対に限りなくハイキーな写真が展示されている。(はずである。まだ未見なので)
三枚ほど同じコンセプトの作品を以前拝見したことがあるが、目が慣れない限り画面には何も見えない。もっとも慣れてきたところでやっとおぼろげに見える程度である。この時も杉浦氏の目はファインダーに映る被写体に向かうのではなく、そこを満たす空/くうを見つめているだろう。

そして面白いことに彼の作品は写真が時間の芸術でもあることを思い起こさせてくれる。暗闇でフラッシュなしで4X5大判カメラを使うために露光時間は極端に長くなる。写真は一瞬を切り取るというがそれは比喩的に使われているだけで何分の一だろうともちろんそこには時間の経過がある。その時間の経過を一枚の物質として表象するところに写真の面白さや不思議がある。それは日常では感じることのない世界だ。杉浦氏の写真は露光時間が長いことによってそこにある間/かんをも積極的に取り込んでいる。その行いはしばしば彼のコントロールを超えたところにあるのではないだろうか。シャッターを開けて、閉まるまでの時間は作家の及ばない世界。そこで写真家は何を考えるのだろうか。
常にある種のハプニングが起こりえる緊張感。もしかしたらそれさえも定着させようとしているのだろうか。

写真とはまさに空と間、つまりは世界を取り込む業。
世界をつかみ取ろうと格闘する写真家を今後も追っていこうと思う。



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Posted by 柚木康裕 at 16:49│Comments(0)アート・美術
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