2008年10月18日

非日常な風景



いつも見る景色が日常を作っているとしたら、どんなに違和感のある景色もやがては平凡な日常にすり替わっていく。

目を覆うような紛争や自然災害ばかりが違和感のある景色ではない。
日常にもそのような理由からたくさんの非日常的な風景があるのだ。

ただ慣れてしまうだけ。あるいは気付かないようにしているだけ。

アートはわざわざそういった日常に潜んでいる違和感をあぶり出そうとする。
何食わぬ顔でちゃっかり忍び込んでいるその状態にもの申さないといてもたってもいられないのだ。

美を造り出すのも、まだ見ぬものを創り出すこともアートの役割ではあるが、現代社会においてより大事な役割となっているのがこの「気付かせる」という役目ではないだろうか。
「気が付かなく」ても日常はとてもスムーズに進行している。わざわざ気付かせることがその日常の進行に支障をきたすことが多い。知らないふりこそが安定した日常を可能にしている。(はたしてそれでいいのか?)
傷口のかさぶたをわざわざ剥がすような行為をする意味はなんであるのか、自分でもまだまだわからないことだらけだけど、とても重要なことを孕んでいるように思う。
それを理解するためにアートを見続けてみたい。

浜岡。

静岡県に住んでいる人ならこの言葉の意味をすぐに理解するはず。
「私(マイ)風景」展のなかでもこのことに触れる機会がありそうな展開になってきました。
浜岡の人たちにとっての日常の風景。違和感のある人もそうでない人もそれぞれにいることでしょう。
そのことに僕が何を言うこともないけれど、アートの力を借りて現実にある風景や状況を伝えることはできるのではないだろうか。

ある方が企画が持ち込んでくれて、それが「私(マイ)風景」展にも繋がる内容だったので、会期中一緒にやろうということに。まだ本決まりではないけれど、決まれば興味深い企画をお届けできそう。詳細が決まったらお知らせします。
  

Posted by 柚木康裕 at 22:43Comments(2)アート・美術